nTech講師 塩見典子の心感覚ライフメソッド

こんにちは!脳と心の仕組みを解き明かすnTech(認識技術)講師/認識コンサルタントの塩見典子です。このブログでは、心感覚とは何か?nTech(認識技術)とは何か?なぜ必要なのか?どのように活用するのか?また、セミナーやワークショップだけではお伝えできない21世紀の悟り人、令和哲学者Noh Jesuさんから教えていただいた知恵や魅力的な側面をお伝えします。是非、楽しみにご覧ください♪

台湾で最も尊敬されている日本人 八田與一と妻外代樹(とよき)【後編】

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 宇宙一美しい奇跡の数式「0=∞=1」から始まる新しいLife Styleを提案するnTechセミナー講師/認識コンサルタントの塩見典子です。

 

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台湾で最も尊敬されている日本人 八田與一と妻外代樹(とよき)【後編】

 

 

 

前編に引き続き、後編は妻 外代樹(とよき)さんについて、八田さんが亡くなった後について書いていきます。 

 

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妻 外代樹(とよき)さんはなぜ自殺したのか

 

外代樹さんは16歳で金沢から台湾に嫁いで(当時八田さんは31歳)8人の子供を授かり、ダムの完成を目指す八田さんを支えたと言われています。

 

 

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 (後ろの一番左の男の子が修一さんのお父さまです)

 

1945年終戦を迎え日本人の引き上げが始まりましたが、外代樹さんは台湾にとどまりました。

 

8月31日長男が戦地から戻り、家族で食卓を囲んだそうです。

9月1日未明、黒に喪服に白足袋という正装で烏山頭ダムの放水口に身を投げました。享年45。

 

机の上には

「玲子も成子も大きくなったのだから、兄弟姉妹、仲良く暮らしてください」という遺書が残されていました。

 

外代樹さんが身を投げた9月1日は烏山頭ダムの着工日です。

 

外代樹さんはどんな想いで身を投げたのでしょうか。

  

愛する夫の後を追ったのでしょうか?

これからどう生きていけばいいのかわからなくなり、緊張の糸が切れたのでしょうか?

 

わたしは違うのではないかと思います。

  

16歳で台湾に来て、台湾の発展のために東洋一のダムをつくりあげた15歳年上の夫と毎日どのような話をしたのでしょうか?

 

たくさんの困難があったと思います。

 

日本では八田の大風呂敷と言われた夫の奇想天外な発想と、

皆を「せめて人並みの生活をできるようにしてやりたい」と奔走した八田さんの心情を一番深く理解していたのは外代樹さんだったのではないでしょうか?

 

八田さんの功績が台湾で大きく評価されている反面、日本政府からは逆の見方をされていたことを苦慮していたという噂もあります。

 

ダム建設のための巨額な費用が重い負担となり、台湾統治に悪影響を与えたとして、ダム建設は国策ではなく、八田個人の暴走であるという酷評もあったそうです。

 

変わりゆく時局の中で、八田さんと仲間たちの生き様や志が歪曲され、受け継がれなくなることを危惧したのではないかと思います。

 

八田さんと仲間たちが描いた理想の未来、志を共にして昼夜を問わず10年かけてつくりあげた烏山頭ダム

 

八田さんたちがつくったものはダムではなく、あたらしい国、あたらしい時代の礎だったのではないでしょうか。

 

台湾人と日本人ではなく、あたらしい未来をつくる同志として

自分たちのためではなく未来のために、

自分たちが貢献できるすべてをかけて共につくりあげた未来の基礎。

 

 

「自分たちは生涯をかけてここまで切り拓いた。

 あなたたちはどこまであたらしい時代を切り拓けるの?」

 

 

八田與一さんと外代樹さん話を始めて聞いた時、そんなバトンを渡されたような気がして胸が熱くなりました。

 

わたしが始めて八田与與一さんを知ったセミナー 

 

 

地元の人によってつくられた銅像

 

1946年12月地元の農民たちがわざわざ日本の黒御影石を探し出して八田夫妻のために日本式の墓をたてました。

 

銅像をつくることを固辞した八田さんの意を汲んで、工事中によく見かけた八田さんの熟考する様子の銅像が作られました。

 

 

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その後の国家総動員法に基づく金属類回収令の施行時や

中華民国蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際も

地元の有志によって守り隠され続け 

1981年(昭和56年)1月1日に再びダムを見下ろす元の場所に設置されました。

 

現在は、中学生向け教科書「認識台湾 歴史編」に八田の業績が詳しく紹介されているそうです。

 

感想 八田與一さんを通してわたしが感じたこと

 

戦後に生まれているわたしたちにとっては日本と台湾は違う国という感覚ですが、当時の人たちの気持ちを想像してみると、

今の日本でも台湾でもないあたらしい国・あたらしい時代を共に切り開こうとしていたのだと思いました。

 

自分の生きている時代の固定観念から当時を理解しようとする台湾と、当時の時代背景を知りその様子を想像し人々の気持ちを感じながら理解する台湾は違って見えることを感じました。

 

今回、八田修一さんとご縁をいただいたこともとても嬉しく思っています。

きっと八田さんにしかわからないエピソードや受け継がれているものがあるのではないかと思います。

 

ぜひ、またお話を伺えることを楽しみにしています。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。