新型コロナウイルスで亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また、被患された皆様の早期回復と感染の早期終息を心よりお祈り申し上げます。
ご訪問ありがとうございます。
宇宙一美しい奇跡の数式「0=∞=1」から始まる新しいLife Styleを提案するnTech(認識技術)講師/認識コンサルタントの塩見典子です。
日本も7都府県に緊急事態宣言が発令され、また各自治体でも外出自粛やコロナパンデミックに対する対策がとられています。
皆さんはお元気でお過ごしでしょうか?
コロナの問い
私も4月に入りセルフロックダウンで、お仕事はすべてオンラインに切り替えました。
気がつけば早二週間、慣れない電磁波にやられながらも工夫をしながら新しいリズムをつくれるよう試行錯誤の毎日です。
外出は食材の買い出しにマンション近くのスーパーマーケットに行くくらいでしたが、
先日、久しぶりに駅前にパンを買いに行きました。
朝食の食パンを切らして、どうしてもパン食べたいな〜。食パ〜ン。
ということで、散歩を兼ねて梅田の駅へ。
普段歩いている茶屋町から梅田の通りのお店はほぼ閉店。
郊外ではまだまだ出歩いている人が多いと聞きますが、緊急事態宣言がでてからの日曜・梅田ということもあり、車も数えるばかり、通行人も足早に行く人がチラホラ。
それでも、所々あいているマックやカフェでは、勉強をしていたり作業をしている人たちも。
情報の格差から危機意識の格差が生まれているんだろうなと思います。
目的の食パンを手に入れ、いつも新鮮な果物がおいてある地下の八百屋に行くと閉店。
やっぱり、やってないよね。^^;
食パンを片手に、軒並み閉店している地下街を歩く。
普段は当然のように人が行き交う梅田の街。
地上も地下も人がいない、ガランとしている。
時計の針が止まったかのような静寂が心をよぎる。
あれ、街がとまってる。
街が血管であれば、そこを流れる血液は人間だ。
人間の行き来がなければ、街にエネルギーは流れない。
エネルギーが止まってしまった街の中でポツンと立つわたしの頭によぎる。
あれ?街ってなんだっけ?
人間は、当たり前に動いている動きが止まった時、その動きの本質に出会う。
命の動きが止まる時、その命の尊さに気づく。
毎日の生活の動きが止まる時、普段の日常がいかに恵まれていたのかその豊かさに気づく。
人間関係の動きが止まる時、その出会いが掛け替えのない貴重なものであったことに気づく。
街の動きが止まった時、街がわたしに問いかけてくる。
この街は一体何だったの?
物質文明の終焉
わたしたち人類は今、点よりも小さいウィルスに翻弄されている。
10億分の1mmの大きさのウィルス一つを統制できずに世界はパンデミックに陥っている。
これは単にコロナウィルスの問題ではなく、わたしたち人間側の問題だ。
国家体制の問題、医療の限界、社会秩序の問題、企業のあり方の問題、学校・教育の問題、人間関係の問題、家庭の問題、一人一人の認識の問題など、あげたらキリがないけど、普段から潜んでいるこれらの問題が、コロナウィルスによって浮き彫りにされたのだ。
「このままではいけない、何かを変えないと」
誰もがそう思いながら、止まることができなかった物質文明を強制ストップさせたのが今回のコロナウィルスだ。
エントロピー無限大の物質文明。
いかなる形でもストップせざるおえない文明の大転換期にやってきたコロナ。
日本においてもそうだ。
戦後75年。日本はアメリカに追随し成長を遂げた。
しかしそのアメリカも今やアメリカンファーストを宣言している。
このアメリカの宣言は世界をリードしてきた西洋文明の秩序の崩壊を意味し、そこに追従した日本の精神的独立を時代が要請する大変革期なのである。
今、わたしたちは何が変わらなければいけないのだろうか?
文明の限界はその文明をつくる人間の意思決定方式の限界だ。
これまでわたしたち人間は、目で見て耳で聞いて脳で考えて判断し意思決定をしてきた。
5感と脳による認識を土台に意思決定をしているわけだが、人間の5感などごく一部分の偏った情報しかとれないし、それを編集デザインする脳には不完全性を有している。
その結果、わたしたちはいつも部分だけ・違いだけ・過去の延長線上でしか物事を考えることができず、自分の体を基準に物事を考える。
基本的に一度 知ってしまった世界から自由になれず、自分の規定した範囲の中で物事を捉え意思決定するため、必ず限界が生じる。
人間の5感覚脳に依存した認識方式では、大前提にある目的関数が生存意志にとどまり機械的条件反射しかできない。
それぞれの個人が、組織が、国家が、自らの生存のために存在するならば、それ以上のものは生み出せないし世界はうまく行くはずがない。
この人間の認識方式が大転換を起こし、5感覚脳の観点に依存しないメタ認識ができるとき目的関数が尊厳意志に上昇することができる。
それはまるでスマートフォンの画面の中にいるアバターがスマートフォンの外に出てスイッチをオンにすることで超スピードで動く電気の動きを自ら制御しデザインしたブラウザ画面を出力できるプログラマーになるようなもの。
スマホの中のアバターは既に設定されたパターンの選択しかできないが、プログラマーは自らの意志でゲームの全体像もアバターも設計することができるのだ。
脳の観点に縛られたまま生存意志に支配され利己主義を卒業できず、いつも奪い合いWin Win, All Ain(もちろん自分も含んだ)の意思決定ができない。
神と言う虚構をつくり自分自身を律し団結しようとしてきたが、人類の争いは終わることがない。
科学技術の力で人類は皆幸福になれると喜んだが、その結果2度の世界大戦を起こした。人間の心の中から、依然として孤独は拭い去れない。
人間の認識方式がメタ認識に変わる時、尊厳意志に基づいてWin Win, All Ainの意思決定が可能になる。
完全完璧な世界はある。ただ人間が認識できなかっただけ。
認識できなかったから現実に応用活用できなかっただけなのだ。
メタ認識が可能になれば、人間ゲーム全体の仕組みをわかり自ら設計できる。
現在、私たちが右往左往しているウィルスの仕組みも、収束の方法もシンプルにみえてくる。
そのメタ認識は、特別な誰かだけがするものではなく、誰もが当たり前にできるようになるもの。
もし1億3千万人の日本人がこのシンプルなメタ認識をわかって「せーの!」でコロナウィルスの収束に取り組めるなら、日本は1ヶ月でウルトラクリーンエリアに変わることができる。
それが「日本式ロックダウン」
次回は日本式ロックダウンについて書きます。
こちらは日本式ロックダウンの必要性を訴え、外科医長岡美妃氏が行っている1000万人の署名活動です。
一人でも多くの方にご覧いただき、理解、賛同いただけるようお願い申し上げます。
塩見典子