不可能を可能にさせた400万人のチームプレー 〜歴史を知る2〜
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無から始まる新しいライフスタイルを提案する塩見典子です。
皆さんは「京都」といえばどのようなイメージがわきますか?
日本の伝統文化や古き良き都など、ずっと変わらない静かな佇まいが思い浮かぶ方が多いのではないでしょうか。
しかし、京都は東京遷都を機に大変革を成し遂げ、全国に先駆けた新たな試みを次々に実行し実現させた近代都市創造の躍動的な一面もあるのです。
日本初の小学校の設置や京都博覧会、赤煉瓦の近代建築の建設など、中でも目を見張るのが琵琶湖疎水建設とそれに伴う日本初(世界2番目)の水力発電の実施です。
電力の発電により、製造機機の発達や、水路による運輸、田畑の灌漑や火災防御、米の精米や衛生面の質も向上し、電気鉄道の開通や家庭人も街灯が灯るようになり、市民の生活は遥かに向上しました。
この工事で日本初の多くの技術が生まれ、技術者たちは日本全国に新しい技術を伝え日本の近代化を推し進めました。
関西は日本の近代化の礎を築いた土地なのです。
今日は、この琵琶湖疏水工事についてご紹介したいと思います。
東京奠都に伴い実質上日本の中心は東京に移り、京都は大きな打撃を受け人口も30数万人から20数万人へと激減したと言われています。
この危機をチャンスに大反転させたプロジェクトが3代目京都府知事の北垣国道が提案した琵琶湖疏水工事です。
琵琶湖のある滋賀県や水害に弱い大阪からの反対、京都府民からの増税に対する反対も説得し、125万円(現在の約1兆円)の予算を投じて計画が進められました。
北垣知事の京都の未来に対する想い、具体性のある展望と熱意が胸を打ち市民が一体となっていったのです。
この一大工事の指揮をとったのはわずか21歳の若者、田辺朔郎でした。
予算の都合から外国人技師を呼ぶことはできず、日本人だけで施工した初の大規模工事は、ダイナマイトと鋤だけで行われました。
400万年動かなかった琵琶湖の水を、400万人の日本人が団結して新しい土地へ流す琵琶湖疏水工事は、チームプレーによって不可能を可能にさせる日本人の底力を発揮した一大プロジェクトでした。
昨年、琵琶湖疏水記念館を訪れた際に感じたことは、「不可能」という文字が一ミリもない、必ずできる、出来ない理油がないという当時の人たちの強い自信感でした。
一人一人が全ての考え・感情・言葉・行動・関係構築を「どうすれば出来るのか?」に一点集中させ、最適化されたチームプレーを発揮し、未来の為にこれまでにない創造をする、人間として最高のチャレンジを実践したのです。
その実績がある関西の土地。
これまでの世界秩序が崩壊し、人工知能の危機が押し寄せる現代に、新たな突破口を切り開く関西のポテンシャルを感じました。
皆さんも是非、関西の底力に触れてみてくださいね。
それでは、今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい!
塩見典子
以下は、JAPAN MISSION PROJECT実行委員のメンバーが描いてくれた関西ミッションの漫画です。是非、ご覧ください♪