男を殺す女
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宇宙一美しい奇跡の数式「0=∞=1」から始まる新しいLife Styleを提案するnTechセミナー講師/認識コンサルタントの塩見典子です。
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会話ができない
先日、人間関係の築き方がわからない、コミュニケーションのとりかたがわからないという若者と出会いました。
彼は、相手の心や気持ちがわからないので、一生懸命相手の言葉を聞いて、相手の投げかけに対して正確に応えようと努力をしています。
しかし、相手の気持ちは相手の言葉と100%一致している訳ではないので、いくら正確に応えても相手のほしい反応とはズレが起きてしまいます。
そのズレをなくすために、彼はさらに正確に応えようとして、だんだんと会話が続かなくなってしまうようです。
彼のようにコミュニケーションが難しいと感じる方も多いのではないでしょうか?
本音が言えない
実はわたしも人とコミュニケーションをとることがとても苦手でした。
今のわたしからすると信じられないかもしれませんが、人に会うこと自体がプレッシャーだったのです。
幼少期の体験から「人を傷つけたくない」という想いが強くなり、少しでも相手が傷ついたと思うととても悲しい気持ちになりました。
もちろん「相手が傷ついたのではないか」というわたしの勝手な思い込みです。
そしてそのまま悲しい気持ちになって一日が終わるのです。笑
それが、自分が直接会話をした相手だけではなく、わたしと関係のないところで繰り広げられている会話でも「今あの人は傷ついたんじゃないか」と思うと悲しい気持ちでいっぱいになっていました。
こうやって振り返ってみると、わたしは悲しい映画ばかりをロードショーしていたのですね。^^;
「とにかく相手を傷つけないように」というのがわたしの無意識の基準でした。
当時のわたしは「観点」が何なのかがわかっていなかったので、相手の意見と違うことを主張する=相手を否定する=相手がみじめな気持ちになると思い込んでいたのです。
特に男性に対しては(男性性の強い女性に対しても)、プライドが高い相手ほど否定することをかわいそうだと感じて(ああ。勝手な思い込み)、相手の基準を受け入れその基準に合わせて関係を築いていました。
しかし、この関係の築き方、自分にとっても相手にとっても毒なのです。
相手の基準に合わせて物事を考えようとしますが、心から一致して賛同しているわけではないので必ず矛盾が生まれ疲れてしまいます。
そうなると「まぁ、この人が元気ならなんでもいいか。」と打算的な考えになり、受動的な生き方になってしまいます。
相手から見ても、一見自分のことを否定せずに受け入れてくれる人、安心できる相手、と思いますが、自分の弱点をカバーしてくれる相手ではありません。
自分に賛同ばかりしてくれる相手は、自分のエゴを育だて強化する甘い毒なのです。
真理からみれば人間は、今ここ死んであたらしく生まれ変わることができます。
もっと大きな人になれるのに、エゴを強化して死ぬことができないから、そこにとどまってしまうのです。
わたしが「本音が言えない」と自覚した事件
ある男性に、言いたいことがあるけど言えないことがあったのです。
絶対に、彼のためにも伝えた方がいいことだったので、今日は絶対に言おう、と思って心に決めて会うことにしました。
まず彼に、
「実は言いたいことがあるけど、あなたを傷つけるんじゃないかと思って言えない。」ということを伝えました。
そうすると、彼は
「俺が傷つくかどうかは言ってみないとわからないから、言ってみて。」と言ったのです。
その時わたしは目からウロコでした。
確かに!わたしは、ずっとこんなことを言ったら絶対に彼のプライドを傷つけて落ち込むに違いない、と確信していたけど、それ自体が思い込みだったのだということに気がつきました。
なんだ〜、そっか〜。わたしの思い込みだったのか。と驚きました。
普段、わりかしはっきりものを言う方だったので
「じゃあ、遠慮なく言うからね!」とはりきって口を開きました。
そこまではよかったのですが
話し始めると延々と伝えたいことの背景ばかりを話し、本題が話せないのです。
彼がしびれを切らして
「はっきり言っていいよ。」と言うので
「わかった、じゃあ、今から言うから。」
と。
言おうとしても、言・え・な・い〜〜〜。
そのやり取りを何度か繰り返して
だんだん、自分でもおかしくなってきて、そこで観点の問題を自覚したのです。
例のプリンの話です。(ご存じない方は今度お話ししますね!)
プリンが同じ大きさだとわかっていても上が大きく見えるように、意識では「はっきり言おう」と思っても無意識で「傷つける」と思い込んでいるので、どうやっても言葉が出てこないのです。
脳の観点に依存して、自分と他を分けている状態では100%循環することは不可能なのです。自分と他人を分ければ、自分の観点で相手を決めつけ、その決めつけた相手から苦しめられてしまいます。
源泉的動き1つだけがある真実の自分から、観点が生まれる仕組み、観点が生まれる目的がわかったとき、観点の一部分を否定することは相手そのものを否定することではなく、もっと進化した相手になるための愛であることがわかるようになりました。
源泉的動き1つから出発した時に、やっと観点を変化させることができたのです。
観点が変われば、自然と相手のために伝えたり、聞いたりすることができるようになりました。ああ、よかった。
あのまま観点に気づかずに生きていたら、相手の可能性を殺し続けるところでした。
恐るべし、観点。