人の目が気になる ~観点の問題4~
おはようございます!
無から始まる新しいライフスタイルを提案する塩見典子です。
今日は誰もが使っている「観点」が無意識に引き起こす問題の四つ目をご紹介します。
観点の他発と自発の問題。
無意識に相手の観点から出発してしまう「他発」は、島国文化である日本人の習慣も手伝って大変多くみられます。
相手を不愉快にさせない為に、余程のことがない限り相手に合わせてコミュニケーションをとり、「この人はこういう人だから」と相手の観点に合わせて建前をすることもあります。
観点の他発性は幼少期の体験も大きな影響を与えています。
子どもは常にお母さんの心を感じています。
「お母さんがどうやったら喜ぶんだろう」「お母さんがどうやったら怒らないんだろう」「どうやったら褒めてくれるんだろう」など、
無意識に「自分がこうしたい!」という事よりも、「どうやったらお母さん(又はお母さんに変わる存在)を喜ばせる事が出来るのか」を中心に物事を考えるようになりやすいのです。
そして、いつしか「お母さん」という主語がなくなり、出会う人全てに対して「相手がどうやったら喜ぶんだろう」「相手がどうやったら怒らないんだろう」「相手がどうやったら褒めてくれるんだろう」と対象を置き換え、同じことを繰り返します。
例えば、友達がどうやったら喜んでくれるんだろう、
先生がどうやったら怒らないんだろう、
上司がどうやったら評価してくれるんだろう、
パートナーがどうやったら不愉快にならないんだろう、
お義母さんがどうやったら気に入ってくれるんだろう、など
いつも相手の目線を無意識に気にしてしまいます。
この状態ではいつも相手の観点に合わせている状態なので自発的な自信を持つ事が出来ません。
相手が認めてくれる時には自信を持つ事が出来ますが、相手が認めてくれない時には自信を無くし不安になってしまいます。
相手の条件に合わせて生きようとしても、相手の観点は条件や状況によって簡単に変わってしまうのでストレスが蓄積されていきます。
更に違う角度からみても、普段使っている単語一つでさえ、自ら作ったものはありません。
他人が作った概念を暗記して組み立てて使っているのです。
最近ではインターネットも発達し、パッと見た情報を編集してまるで自分の考えのように表現したりしますが、本当に自ら出発した考えはどれほどあるのでしょうか?
では、観点が自分から出発する「自発」の状態はどうでしょうか。
自ら創った概念を他の人に共有して広げる事はとっても難しい事です。
例えば、自分が新しい単語を創って辞書に載るようになるのは簡単な事ではありません。
「今までずっと他の人の目を気にして生きてきたから、今日から人の目を気にしないで言いたい事をいおう!」と言ってみれば、我慢が解除されるので、一段階自分はスッキリします。
しかし、そのスッキリもずっとは続きません。
相手は相手の観点で聞いていますから、自分の発信をそのままは受け取ってくれません。
相手の観点をゼロ化する事が出来なければ折角の主義主張も自己満足で終わってしまうのです。
観点の他発も問題、自発も問題。
明日は、観点の「肯定」と「否定」の問題についてお話しします。
それでは、今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい!
塩見典子