ぎっくり腰が教えてくれた令和感覚 ー後編ー
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宇宙一美しい奇跡の数式「0=∞=1」から始まる新しいLife Styleを提案するnTechセミナー講師/認識コンサルタントの塩見典子です。
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令和元年6月、人生最大級のぎっくり腰を通過してひと皮むけてすっきりしました。^^
ぎっくり腰事件を記録しておきたいと思います。
shiominoriko.hatenablog.com 前編はこちら
ぎっくり腰が教えてくれた令和感覚 ー後編ー
今回のぎっくり腰がわたしに多くのことを気づかせてくれました。
当初、わたしはぎっくり腰になったことをあまり人に言いたくなかったのです。
「腰は怒りの感情」と言われますから、ぎっくり腰になったといえば、
え?!塩見さん、ストレス溜まってるんじゃないの〜!!
と思われるのではないかと思ったのです。
もうすでに、この時点で「人にどう思われているのか?」を気にしている自分がいたのですね。^^;
3日間寝返りもうてないのでできる行動が少なく、自分の内面と向き合う時間となりました。夢の中でも自分の限界が客観的にあらわれるようになってきました。
あ、あの時も、あの時も、わたし、境界線をつくって自分の決め付けでああいう結果になったんだわ〜、と現実の裏に働いた機械的条件反射・エネルギーのアルゴリズムがみえたのです。
普段、無意識で自分がいかに思い込みのなかにはまっているのかがみえました。
なるほどな〜。そりゃそうだわな〜、と。
これ、ぎっくり腰になって強制終了がかからなければ気づけなかったのです。
そして、あの腹の底からこみ上げてきた嗚咽のエネルギーはなんだったのだろう?
まるで宇宙の外の真空エネルギーから吐き出された、わたしの奥底にあった人間の痛み・感情が吐き出されたような、あのエネルギーは何だったのだろう?
と疑問が生まれました。
意識ではわからなかったのです。
相対比較でもない、劣等感でもない、自己否定でもない、恨みでもない、怒りでもない、だけど、明らかに腹の底からあのエネルギーが外に出て、腰の痛みが回復に転じたのです。
そう、あれはなんだったのかしら…
そして、今朝わかったこと
ああ、わたし、人間だと思い込んでいたのだということ。
3月は韓国・東京・福岡とほぼセミナーで、4月は3つの大きな事件があり、その度に自分自信の認識と向き合ってきました。しかしその中で、身体の自分から出発して妥協し、ボタンを掛け違えてしまったことがあったのです。
その一つの掛け違いから日積みが起こり、無意識でバランスを崩していたのです。
もうどうにもできないなら、わたしが妥協する、というのはわたしの得意な条件反射です。
あの時の妥協か〜、ときっかけが見えたのですが、しかしそのもっと大前提に、わたしは、存在していると思い込んでいることを自覚しました。
わたしがいて、相手がいて、伝わらないから妥協する、受け取れないから妥協する、大前提にわたしがいて、あなたが存在していたのです。その上で、自分で「こうだ」と思い込んで自分の認識画面をつくっていたのです。
そりゃ〜、エントロピー無限大になって崩壊するのは当然だわ、と。
そう、その認識から抜けられたのです。
わたしもない、あなたもない、今ここ1で生きる令和感覚。
出発が存在に固定されていれば必ず機械的条件反射がおこり、それ以上のものにははらない。今ここ1から始まるから、冒険を楽しみあたらしい可能性を具現化できる。
そういうことか〜、と腹落ちしたときに、ぎっくり腰直後のNoh先生の言葉がよみがえりました。
腰もない!
痛いもない!
のんちゃんもない!!
恐るべし、先生。
令和感覚が腹落ちした6月。
また進化してしまいました。ふふふ。^^