心の距離が生まれる理由 〜観点の問題2〜
おはようございます!
無から始まる新しいライフスタイルを提案する塩見典子です。
今日は誰もが使っている「観点」が無意識に引き起こす問題の二つ目をご紹介します。
観点の異質性と同質性の問題。
カエルはカエルの観点を、犬は犬の観点を、人間は人間の観点を持っています。
更に同じ人間同士でも、生まれ育った環境は全員違いますから、生まれてからの経験体験によってつくられる観点は、全員違います。
双子の兄弟でも、兄には弟が、弟には兄がいるので其々違う観点が育つのです。
実際、私も年子の姉がいますが、姉が持っている幼少期の家族像と、私が持っている幼少期の家族像は全く違います。
過去の記憶は自分の観点の解析の結果ですから、同じ屋根の下、同じ家族に囲まれて育っていても、どんな観点を持っているかによって全く違う認識になるのです。
誰一人として全く同じ観点は持っていませんから、近くなればなるほど、摩擦や衝突、諦め、挫折が起きるのです。
たまに会う時は良かったけど、一緒に暮らし始めると違いが目に付くようになることも。
みんな観点が違う事を知らなければ、強者の論理に無理やり合わせたり、諦めて妥協してしまったり。
小さな諦めや挫折が積み重なると、「この人に言っても仕方がない。」と心の距離が開いてしまい、ある時我慢の限界に達してしまいます。
この観点の違いの問題は個人の問題だけでなく、実は人類500万年間解決出来なかった人間共通の問題なのです。
全員観点が違うままでは協力や団結が出来ませんから、自然の力に勝つ事もできません。
勢力を拡大し、競争に勝つ為には、観点の違いをまとめる力が必要でした。
暴力によって観点の違いをまとめた古代中世、財力によって観点の違いをまとめた近代現代。
しかし、力によって無理やり観点をまとめようとした時代も限界に来ています。
「お金をもらっも働きたくない」そんな若者が溢れています。
では、観点がみんな同じ(同質)になればいいのでしょうか?
同じになればもっと問題が起きてしまいますね。
想像してみてください。
みんな同じ観点で同じ考え方、感じ方、生き方をすればクリエティヴが生まれませんし、社会もファシズムのようになり発展が起きません。
ロボットのように画一化され、せっかく人間として個性をもって生まれた意味がなくなってしまいます。
観点が違っても問題、一つにしたらもっと問題がおきる。
人類がこれまで暴力や財力などの力によって無理やりまとめてきた限界を、根底から解決していく技術、それが観点を次元上昇させる認識技術=観術なのです。
明日は、三つ目の問題である固定性、流動性についてお話しします。
それでは、今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい!
塩見典子