恋は盲目 ~観点の問題3~
おはようございます!
無から始まる新しいライフスタイルを提案する塩見典子です。
今日は誰もが使っている「観点」が無意識に引き起こす問題の三つ目をご紹介します。
観点の固定性と流動性の問題。
観点が固定していると、相手と分かり合う事が出来ません。
皆さんも「言葉を尽くして話してもさっぱり理解してもらえなかった」という経験はありませんか?
それは人間が、その人独自の経験体験によってつくられた観点からいつも、今ここを認識しているからです。
その観点、ストラークゾーンにヒットする事は聞き入れますし、ヒットしない事は認識すらされません。
そして、ヒットした部分もそのままは受け取ってくれません。
マイナス的であれプラス的であれ、その人の都合の良いように編集してしまいます。
「恋は盲目」と言いますが、大好きな相手は何をやっていても可愛く見える時がありますよね。 時々「?」と思うことがあっても認識せずに自分の中で可愛い相手がどんどん育ってしまいます。
実際目の前にいる相手を見ているのではなく、自分の勝手なイメージを見ているのです。
その状態では、本当の相手に出会うことも出来ませんし、自分のイメージの中での関係性しか築くことが出来ません。
苦手な相手に対しても同じです。
人間の脳は無意識に過去のイメージとつなげて認識するので、一度「こういう人だ。」と思った相手のイメージや自分のイメージからなかなか自由になれません。
昨日の相手と今日の相手は変化しているのに、自分の中のイメージは変化せずにより強固になっていくのです。
そうすれば、いつも出会いがマンネリし、感謝や感動が生まれません。
人対してだけでなく、今ここも同じです。
このブログを読んでくださる、今ここ、あなたは無限の感動に溢れていますか?
観点が固定されていれば、見えること、聞こえること、触れることが当たり前で何の神秘も感じられません。
もし、瞬きをする為に閉じた目が次に開く時、二度と見る事が出来なくなるのなら、その時あなたは何を感じるでしょうか?
ずっと見えないその目が、また見えるようになる瞬間、何を感じるのでしょうか?
見える・聞こえる・触れる世界が当然あるものと思い込んでいますが、本当は実在するものではありません。ウルトラスピードの片鱗を編集デザインして今、みているのです。
(観術セミナーに参加されていない方は、よくわかりませんよね。ます3日間のベーシックセミナーであるNR1Dayセミナ、認識セミナーに参加してみてください。^^)
では観点が相手や場面に合わせて流動的に動けばどうなるのでしょうか?
Aさんといる時にはAの自分。Bさんといる時にはBの自分。Cさんといる時にはCの自分というように、 自分のアイデンティティが不安定になってしまいます。
相手の観点に合わせているので、その場面その場面では問題が起こりませんが、その状態が長く続けば、だんだん自分の本音が分からなくなってしまいます。
目の前の相手や状況に流されて根無し草のようになってしまえば、何の為に生きるのか、人生の蓄積が起きません。
観点が固定していても問題、動いても問題。
明日は、四つ目の問題である他発・自発の問題についてお話しします。
それでは今日も素晴らしい一日をお過ごし下さい!
塩見典子